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殺人犯の96%が野放し状態 ホンジュラス

資料:El Herald 2014年11月24日
http://www.elheraldo.hn/pais/770820-214/homicidios-en-honduras-impunes-en-un-96

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写真:El Herald.

国内で起こった殺人事件の96%が刑罰を受けていないことが、昨日"平和と正義を求める連合"(略称APJ)の発表で明らかになった。犯罪捜査が不十分であることが起因している

この団体が作成した報告書では、2010年から2013年の過去4年間のデータの分析がされている。それによると、27,272件の殺人事件のうち、刑罰を受けたケースは僅かに1,009件だった。つまり、残りの96%の殺人に関与した人物たちは罰せられなかったということになる。


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写真:El Herald

殺人事件検察官の肩書を持つ弁護士のイリス・フォンセカに話を聞いた。
弁護士は「この数字は事実」であることをを認めると同時に「ホンジュラスの事件捜査にダメージを与えている、嘆かわしい状況」だと言った。

殺人事件が多いホンジュラスでは男性の平均寿命は30歳。過去4年間で殺された人のうち、22,832人が44歳以下だった。

APJの独自調査では裁判に時間がかかりすぎるという結果が出た。
国の事件捜査本部(略称:DNIC)と公共庁による捜査は半年で終わるのに対して、起訴と裁判所出頭を経て、公判までに15カ月かかるのだ。結局、刑の執行まで21カ月も要する。

ホンジュラスでは殺人事件一件につき200人の捜査官が動員される。捜査官一人当たり35件を受け持つ計算だ。つまり、過去4年間では一人の捜査官が140件の捜査に携わったことになる。
この状況を踏まえて、APJはDNICと刑事事件技術捜査官(略称:ATIC)の捜査官の増強を要求。司法当局に対しては迅速な裁判プロセスも求めている。

前出のフォンセカ弁護士の話によれば、2014年に入って今日現在まで首都のテグシガルパで発生した殺人事件は820件(うち118人が女性被害者、残りは男性)だった。
サン・ペドロ・スラでは1,543件発生しており、そのうち1,364人が男性被害者だった。

「今年は129件がすでに起訴されています。そのうち70件が有罪判決で、14件は有罪が確定しています」と説明。効率性の良い証拠資料収集と公共庁の動きが肝心だと主張した。
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臓器売買の魔手から逃れて ホンジュラス・スペイン

資料: El Herald(ホンジュラス) 2014年11月9日
http://www.elheraldo.hn/pais/766072-331/hondureña-huye-de-red-de-tráfico-de-órganos

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写真:El Heraldより

脳腫瘍を患う、あるホンジュラス人女性がスペインに渡った。スペインの病院で治療を受けるためだ。
しかし、それは国際的な臓器売買組織の罠で、女性は危うく命を落とすところだった。

この衝撃的な事件の始まりは数か月前に遡る。(女性の身の安全のため個人情報は非公開とする)
数か月前から激しい頭痛に悩まされるようになったこの女性は、サン・ペドロ・スラにある私立病院を訪れた。

診断結果は「手術が不可能な脳腫瘍」。進行を食い止めるレーザー治療が必要で、一日あたりの治療代に18,000 レンピラ*かかると言われた。

女性はその病院の女性看護師から、バネルジというインド人の「腫瘍と癌の専門医」に診てもらうよう勧められた。バネルジ医師に診察してもらったところ、女性の病状は深刻で一刻も早く治療を受ける必要があり、そのためにはスペインに渡航しなければならない、と説明した。

「家族に病気の事とスペインで治療を受ける事を説明して、とにかくお金をかき集めて航空券を買ったの」
そうして11月3日にスペイン目指して出国した。あと2時間で目的地に着陸という頃、同行していたバネルジ医師が「家族にメールを送るように」と携帯電話を彼女に貸してくれた。

「私、あの医師が電話で話してる時、会話の一部が聞こえちゃったんです。『万事順調。ブツは移動中だ』って。それを聞いて『何か変だ』と感じました」とホンジュラス女性は語った。

さらにおかしなことに出発前に
「荷物を一切持ってこないで航空券と身一つで渡航するように」
と医師から言われていたという。

飛行中、医師から薬を飲まされる度に、ひどい吐き気で苦しんだ。彼女は妊娠していたため、気分が優れないのは当たり前だ、と話した途端、医師の形相が変わった。
なぜ妊娠中だと今まで言わなかったのか?と不快感を露わにした。

スペインに到着すると、空港では大勢のアラブ衣装に身を包んだグループに出迎えられ、女性は小型トラックに乗せられた。トラックの中では目隠しをされて空港から随分離れた場所にある高級そうな建物に到着。そこでようやく目隠しが外された。

その建物の中で、彼女は思わぬ人物に会った。ホンジュラスの同じ村の女性。しかも家族がすでに「死亡してしまった」ものと諦めていた人だ。

女性は建物の中で目撃した事をこう証言する。
「何か注射みたいなものを打たれて即死した人を二人見ました。
私は妊娠中だったから、特別扱いされてたんだと思います。でも『お腹の赤ちゃんが男の子だとわかると、すぐに殺されて、灰を家族に送りつける』んだって言ってました。女の子だと出産してから殺されて、子供は6歳か7歳くらいになったら売春婦として売り飛ばされるそうです」

こうして捕らわれの身になってしまった女性だが、インターネットの使用は許されていた。しかし、パソコン使用中は何を書いているかを監視する要員つきだった。

女性はFacebookでどうにか家族に連絡を取ることができた。ある日、監視要員の隙を見て、拉致されてトレドで閉じ込められていること、警察に通報して欲しいと知らせることに成功した。

その後、警察が出動。インド人の"医師"は逮捕の際に抵抗して射殺された。
高級そうな建物からはベリーズ、パナマ、ニカラグア、ホンジュラス出身の人達が救出・保護された。僅かながら男性の拉致被害者もいた。

救出された後、女性はマドリッドの病院に入院して手術を受けることができたのだが、そこで「手術不可能」という診断が嘘だったことがわかった。

女性は「この事件の話を取材してくれてありがとう」と本紙記者(El Herald)に感謝の言葉を述べながら帰国の途についた。それは、身も凍りつく拉致事件から救出されて一週間後の日曜の事だった。

*1レンピラは0.047$(11月22日現在)

赤ちゃんにビールを飲ませる写真を掲載して逮捕 ドミニカ共和国

資料: Hoy.com 2014年11月21日
http://hoy.com.do/dictan-tres-meses-de-prision-a-madre-acusada-de-dar-cerveza-a-hija-de-diez-meses/

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Facebookに投稿された写真( Hoy.comより)


サンティアゴ児童・青少年地方裁判所は、生後10ヶ月の娘にビールを飲ませた容疑で逮捕された母親に対して、今日3ヶ月の未決拘留を言い渡した。
この母親は18歳。まだ赤ちゃんの娘にビールを飲ませている写真をFacebookに掲載したことが逮捕につながった。

マルタ・マルティネス判事によると、母親のステファニー・エステベス・タベラスは市内の女性更生施設に送られることになるという。

一方、この判決を受けて弁護人のエルビン・アウグスト・ドミンゲスはすぐさま控訴を表明。
「検察の証拠文書の中に、赤ちゃんの血中からアルコール成分が検出されたという分析結果がない」と主張している。

逮捕された母親は、今週水曜に
「写真は投稿したけど、お酒は飲ませていない」と容疑を否認していた。

ギネスに載らない世界最長寿の男性 【2】 グアテマラ

【前回の続き】
アンドレス・ロペス・グスマンのインタビューです。

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アンドレスと妻のイサベル
http://www.noticiaselestor.com/2013/01/guatemala-tendra-el-hombre-con-mas-anos.html


人生で一番良かった思い出はなんですか。

初めて汽車を見た時だね。18歳の時だったと思う。
近くの駅に汽車が来た時に見に行って、実際に乗ったんだ。確か次の駅で降りて、そこから家まで歩いて帰ったよ。今でも忘れられない、すごくいい思い出だよ。


歴代の大統領では誰が記憶に残ってますか?
それと、記憶している政策なども教えてください。


ホルヘ・ウビコ大統領。あの人はものすごく個性的だった。
ウビコ大統領の間は、国の治安も良くて犯罪なんてなかった。あの頃は、家の鍵閉めなくたって平気だったんだよ。囚人に道路の奉仕作業をさせたりもしてたね。

ウビコの名前は、まだ大統領になる前のレタルウレウで地方政治家をやっていた時から知ってたよ。ウビコに近い人たちが色々聞かせてくれてたんだ。

参考: 第21代グアテマラ大統領のホルヘ・ウビコの在任期間は1931年2月から1944年7月


学校には通えましたか。

あの頃は、学校の重要性なんかは考えられていなかったね。誰でも小さい頃からコーヒー園で働くのが当たり前だったから。私は読み書きはできない。ずっと農園の労働者だったよ。


奥さんはどうでしたか。学校に通うことができましたか。

いいや。妻も読み書きはできない。
でも、マン族の言葉はずっと使ってきた。
両親から「マン族の言葉で話すように」と教えられたんだ。うちの娘ともそれで会話してるよ。

民族衣装(サン・マルティン・サカテペケス)もいつも着てる。両親はサン・マルティン・チレ・ベルデの出身だったから、そこの風習に従って育てられたし、今でもそれを通してるんだ。


貴方はどうしてこんなに長生きできたと思いますか?

食事かな。いつも山や野原に生えてる野菜を食べてたから。
肉もやっぱり野山の野生動物を捕まえて食べていたからね。今は米だの豆やタマレとかトルティージャ、アトレなんかを食べてるけどね。貧しいから他に食べれるものがないんだよ。


他にもいる、世界の超長寿の人々

ギネス世界記録では、去る6月に逝去したアレキサンダー・イミッヒに替わって日本人の百井盛が111歳(1903年2月5日生れ)で世界最長寿の男性となっている。アレキサンダーは百井より誕生日が一日早かった。

百井は現役時代は学校長を務め、現在の健康状態も良好。読書とテレビの相撲観戦が好きだという。

証明できるものがないがために、ギネスブックに認定されない、100歳を超える高齢者は他にもいる。

例えばマハシャ・ムラシという男性。法的な確認作業はなされていないが、1835年1月6日にインドのバンガロレで生まれたそうだ。もしその情報が正しければ、現在179歳ということに。生涯靴屋として働き、122歳の誕生日を迎えた時に仕事を引退したという。

メキシコ人のヘスス・ランガルという男性は10月23日に118歳を迎えたであろうことになっている。というのも、洪水が起こった時に生年月日が確認できるものが流されてしまったからだ。唯一ヘススの生年月日を確認できるものといえば、高齢者介護センターの利用者カード。「チアパスのソコヌスコで1896年10月23日生」と記されている。

他にも、今年6月に124歳で亡くなったボリビア人のカルメロ・フローレス・ラウラという男性もいた。誕生日は1890年7月16日だということだった。「1890年」については信憑性に欠ける部分もあるが、「1906年生まれ」でないことは明白だった。国際機関は数あれども、結局カルメロの年齢を証明してくれる機関は一箇所もなかった。

ギネスに載らない世界最長寿の男性【1】 グアテマラ

資料: Prensa Libre 2014年10月26日
http://www.prensalibre.com/noticias/Nacionales-Gutemalteco-hombre-mas-longevo-del-mundo_0_1237076289.html

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写真:Prensa Libreより


ギネスブックの世界記録では世界最長寿男性は日本人の百井盛(1903年2月5日生まれの111歳)となっている。
百井の前は、一日早く生まれたアレキサンダー・イミッヒ(アメリカ)だったが、彼が亡くなったため、6月に百井盛が男性の世界最長寿の座に就いた。

グアテマラのマン族のアンドレス翁は「1897年1月1日生まれ」の117歳だ。1932年にヘノバ市役所から付与された身分証に誕生日が記載されている。

アンドレス翁の両親は、ケツァルテナンゴのサン・マルティン・サカテペケスの出身。フスト・ルフィーノ・バリオス将軍がラ・コスタの土地を兵士たちに分譲した後にヘノバに入植してきた。

アンドレス翁とともに歩んできた妻のイサベル・ペレス・バスケスも、やはり100歳を超えている。しかしイサベルの身分証には生年月日の記載がないため、正確な年齢はわからない。二人の結婚生活は80年以上に亘る。


アンドレス翁はサン・マルティン・サカテペケスやサン・マルティン・チレ・ベルデ独特の民俗衣装で身を包み、マン族の言語を話すことができる。
(白い生地のコートに袖の部分に赤いストライプと腰には赤いベルト。その下には短い白か濃い色のズボン)


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サン・マルティン・サカテペケスの衣装
http://servicios.prensalibre.com/pl/domingo/archivo/revistad/2006/agosto06/060806/fondo.shtml


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サン・マルティン・チレ・ベルデの衣装
http://www.guatelog.com/log/589/Trajes-Tipicos-de-Guatemala-bien-calidad.html



一年ほど前に完全に視力を失ってしまったアンドレス翁は市の中心部から20kmほど郊外のエル・アンパロ牧場のピエドラ・グランデ地区に住んでいる。引退するまでの間、アンドレスはそこでずっと働いていた。

妻との間には三人の娘を授かった。今では長女は80歳を超えている。アンドレスの世話は67歳の末娘がしてくれている。
そして大勢の孫、ひ孫、玄孫もいるのだが最近はすっかり疎遠になってしまったため、訪ねてくることがなくなってしまった。だから、何人いるのか正確な人数はわからない。


娘マリア・ペレス・バスケスによると、エル・アンパロ牧場主がピエドラ・ゴルダの家を改修してそこに住まわせてくれたのだそうだ。生活費はアンドレスの年金で賄っている。暮らしについて、マリアがこう語った。

「父の年金、月に500ケツァル*だけでは一ヶ月分の食費にすらならず、生活はとても苦しいです。薬代もかかるし他にも日常生活に必要なものもあります。私たちには携帯電話を買えるお金もありません。だから電話も持ってないんです」

さて、アンドレスの身分証に話を戻そう。身分証の発行は「1932年」だが、実はグアテマラではその年から身分証が発行されるようになった。アンドレス・ロペス(父)とカタリーナ・グスマン(母)の息子だと書かれてある。

超長寿の秘訣となる毎日の食卓だが、妻のイサベルは野生の野草を中心に使い、副菜に米や豆類を。もちろん、アトーレ(トウモロコシの粉や水や牛乳から作る重湯のような飲物)やトルティージャ、タマレも忘れない。
狩をしていた若い頃には野生動物の肉料理も食卓に上っていた。アルマジロやローランドパカ、鹿、アライグマ、タクアシン。鳥類ではオウム、チャチャなどを捕まえていた。

目が見えないので歩く時には杖が頼り。耳はまだまだよく聞こえるそうだ。頭もしっかりとしていて、会話もよくする。しかし妻の方は耳がもう聞こえなくなってしまっている。

市役所の地域コミュニケーション課にアンドレスの状況を尋ねて見た。サムエル・エリアス職員は
「あのご家庭は、最低限の生活ができるような経済支援が必要です。もし誰か経済支援を買って出てくれる人がいたら、市役所まで連絡をください。私かスーリー・マサリエゴス宛にお願いします。電話番号は4149ー0971です」と支援を呼びかけた。

【次回に続く】

*1ケツァルは0,131$(2014/11/18)

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Author:Read Spanish News
楽天ブログから引っ越してきました。10/13の記事は全て2011年に投稿したものです。
できるだけ日本語や英語で紹介されないような、マイナーな記事を選んでいます。たまに日本の記事をスペイン語に訳して紹介することもあるかもしれません。
Publico traducciones de artículos escritos en español seleccionando noticias difíciles de encontrar en japonés e inglés. Ocasionalmente es posible traducir artículos japoneses al idioma español.

Twitter @readspanishnews

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